幼少の頃のことを書きます。
◆ ◆ ◆
一番幼い時の記憶は、まだ赤ちゃんの時、住んでいた団地のすぐ下にあった公園の砂場で、赤いミニカーを砂場に隠して「ないない」しているところ。
その時の私は何を思ったか砂を口に運んで、母に「お砂食べちゃ駄目!」的なことを言われるのだけど、構わず口に砂…… 汚い😅
ごくごく幼い頃の私は、とにかく母が大好きで、兄のことも大好きだった。
当時、父のことをどう思っていたかは記憶に無い。
引き換え今は、父のことは大好きだし尊敬しているけれど、母のことは……
大好きだけど、そこは否定しないのだけども、正直なところ極力付き合わないほうがいいかもしれないと思っている。
母とは、決して分かり合えることはないから。
幼稚園に上がる直前、蓋なしの側溝でユミちゃんと遊んでいた私は、側溝のコンクリートで眉の上のあたりを擦ってしまい、流血した。
それほど痛くなかったが、ユミちゃんが驚いて「血が出てるよ」と言った。
自分では見えなかったが、血が目のあたりを伝ってぽたぽたと落ちたので、これは怪我をしちゃったなと思い、家に帰ることにした。
帰宅すると、顔が血まみれの私を見た母は顔面蒼白になり、大急ぎで母の自転車に乗せられ、病院に連れて行かれた。
私はまず、母が私を見て顔色を変えるのにびっくりした。
病院に連れて行かれる途中、自転車で母の背中につかまりながら、
(お母さんは、私のことが心配なんだ!)と、心から驚いた。
幼稚園に入る前から、私は母に愛されていないと感じていた。
だから母が(兄を差し置いて)私を心配することに驚いた。
その時、母の手編みのセーターを着ていたのだから、愛されていないはずはなかったのだが、幼い私はそう思い込んでいた。
私には2歳上の兄がいて、兄は中等度の聴覚障害を持っている。
兄は3歳になっても言葉を発さず、一方で私は1歳になる前からおしゃべりを始めたものだから、母はようやく兄の言葉の遅さを異常に思って、兄を病院に連れて行った。
それで耳に障害があることがわかった。
息子の聴覚障害が判った時、母は相当にショックを受けたようだ。
その時の母の気持ちは想像に難くない。
言葉を発さない耳が聴こえていない息子を、なんとか話せるようにしてやらなければという思いがあったろうし、将来を考えたら母は絶望を感じていたに違いない。
兄の障害のことが判った日から、うちは変わってしまった。
家じゅうに物の名前をひらがなで書いた紙を貼ったり、兄は言葉の教室に通ったり、補聴器をつけたり、家でも言葉のカードを使っての学習が始まった。
母が私を無視するようになった。
のちになって、母が言っていたことがある。
「もし、お兄ちゃんの障害がもっと早くわかっていたら、二人目は産まなかった」
この言葉をいつ聞いたか覚えていないけれど、私が小学生の時だったと思う。
母にしてみれば何気ない言葉だったのかもしれない。
けれども私にとっては、呪いみたいな言葉だった。
その言葉を聞いて、私が思ったことは、
(ああ、私は本当はいらない子だったのか。だからお母さんは、私がいくら話しかけてもお兄ちゃんの方だけを向いたまま、無視するのだ)
ということだった。
兄の障害がわかった日から、私は家にいても「いない子」のように扱われることがあった(母にしてみれば、そんなつもりはないのだろうが、私にとってはそう感じた)。
母からすると、私のことは、耳が聞こえて言葉もしゃべるし、なんでもできるから、放っておいても大丈夫という認識だったのだ。
子供の頃の私に、自己肯定感などというものは存在しない。
小学生の時から、自己嫌悪、自己否定、自分はいないほうが良いのだと思っていた。
兄に障害があることがわかって、母が辛かったのは理解できる。
しかし、母は私の気持ちを一切理解していなかったこと、理解しようともしていなかったことについて、私は悲しくなる。
〜余談〜
眉の上に怪我をした後、病院で傷口を8針縫われたが、それは怪我をした瞬間よりよっぽど痛かった。
さらに抜糸後も糸が残っていて、母曰く「あの医者はヤブ。でもあの日は他の外科が休みだったから仕方なかった」らしい。とほほ。
今もうっすらと傷跡が残っている。
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2019.09.12 |
| コメント(0) | 自分のこと
ブログを書いていたら、途中で操作を誤ったようで、書きかけの投稿がすべて消えてしまいました……
心折れる瞬間ですね。。。
(たぶん誰も喜ばない)ゲームの話です。すみません。
NintendoSwitchを購入して、『Undertale』と『DELTARUNE chapter1』をプレイしました。
良い。
外国の方が制作されたとは思えないほど、日本のゲームを思わせる作品でした。
グラフィック…好み
システム…好み(ただし弾幕を避けるのは致命的に下手)
テキスト、シナリオ…素晴らしい
キャラクター…素晴らしい
ボリューム…もっとほしいけれど、お値段を考えたら十二分
MOTHERライクな2Dグラフィック(大好き)。
ダークだけれどあたたかく深すぎる世界観(少し『moon』ライク)。
ユーモアにあふれたテキスト。
弾幕に自分から当たりに行ってゲームオーバーを何回叩きだしたかわからないけれど、敵と戦闘中に話したり遊んだり(?)できる、敵を殺さなくていい素晴らしい戦闘システム(一切殺さないことも、逆に皆殺しにすることもできるのが深すぎる)。
あちこち調べると律儀に気の利いたテキストが表示されることの素晴らしさ。
キャラクターの個性的で魅力的なこと(モンスターの子ども、アホの子パピルス、オタクのアルフィー、どせいさん的なテミーが可愛らしくて、賢いサンズが魅力的で、大好きになった)。
敵が戦闘中にしゃべるというシステムは、桃太郎伝説シリーズを思い出しました。
桃太郎伝説でも、敵が戦いながら話しかけてきて、戦闘に勝利するとやっつけたとか倒したではなく「敵をこらしめた」と表示されます。
敵にも主人公にも言い分があり、話し合うことでわかり合えたり、わかり合えなくて双方傷つけあったり、色々と学ぶことの多いシステムだなあと感じます。
先程ほんのちょっとだけ書いたゲーム『moon』について、Switchでもうすぐ配信というビッグニュースが流れました。
『moon』は私もかれこれ20年くらい前にプレイしまして、大変お気に入りのゲームなのですが、
『Undertale』の作者のToby氏が、『moon』のツイートに「いいね」なさっていたり、私の敬愛する作曲家のササキトモコ氏も『moon』について言及されていたりして、
好きなものと好きなものが繋がってるな〜って感じて、とても嬉しかったです!☺
さて……アンダーテールをとても気に入ったので、次は、2Dライクなグラフィックなので昨年から注目していた『オクトパストラベラー』の体験版を10分程やってみたところ……
町の人に話しかけられない!
正確には、💬マークが出ている人にしか話しかけることができない! というシステムに愕然としてしまいました。
私はゲームで町の人の役に立ちそうにない日常会話を聞くのが好きなの……
(そういう「余白」や「余裕」があるゲームこそ感情移入できる)
無駄に樽とか本棚とかを調べた時に気の利いたテキストが出てくるゲームが大好きなんだよ……
町の人にすら話しかけられないなんて……そんなの無理……
それと、最近のゲームに多いのですが、この人に話しかけるとイベントが進むよ!というのがアイコン表示されているのも、個人的には好きではない要素です。最近のゲームは親切すぎる。。
あーこの人に話しかければいいのね、ってわかっちゃうと、自分で攻略している気持ちになれないんですよ……ゲームを「やらされている」感がしてしまう。
『DELTARUNE』の続きを首を長くして待っていようと思います……。
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2019.09.11 |
| コメント(0) | ゲーム
9月に入り娘の夏休みが終わり、やっとブログを書こうという気持ちが復活してきました……
Twitterの方の更新情報に「いいね」くださったり、コメントくださったり、本当にありがたく思っております(;_;)
ブログを更新したら、Twitterの方に自動で更新情報を投稿する設定にしていたのですが、今後は重い話の時は更新情報ツイートは無しの方が良いかなと。
というのも、今後重い話の投稿もしていこうと思っているのですが、それはひとえに私自身のための投稿になります。
自分のことを書くということは、自分の心の整理になるので、自分のために、重い話も忘れないうちに(もうすでに十代、二十代の頃の新鮮な気持ちは忘れている!!)記録しておきたいと考えています。
ただ、それを読まれた方が暗い気持ちになったりしては申し訳ないので、、
今後、重い/暗い話のときは『※重いです』という注意書きを入れます。
昨日の投稿も重くはありましたが、更に重い話を書く可能性があります、、
(もちろん、前のサイトのような日常語りだとか、好きなもの語りもする予定です)
今日は、どうでも良いことですが近況を書きます!
Nintendo Switchを購入しました!(バッテリー持ちが良くなったというニューバージョンのです)
やっているソフトは『アンダーテール』のDL版です。
数年前から、ずっとやりたいやりたいと言っていましたが、ようやく。。
少しずつ進めていきます……
最近インプットもアウトプットもろくろくできていません……
ほしおさなえさんの『菓子屋横丁月光荘 浮草の灯』を読んでいますが、すこ~しずつしか読めていない。。※決して面白くないからではなくて、私に集中力がないから
それでも作中に登場する和蝋燭の灯りには興味が湧いて、灯したところを見てみたいなぁなんて……
和蝋燭を灯す場面というのは日常にはないわけだけれど、和蝋燭を灯して、その灯りを見るためだけの時間は、ぜいたくな特別の時間になりそうですよね。
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2019.09.03 |
| コメント(0) | 日々
HSPとは
むかし、林間学校などで宿泊があるとき、私は夜一番最後まで眠れない子供でした。
消灯が過ぎて、最初はおしゃべりをしたりふざけたりしている皆が、だんだん静かになって、ついには起きているのは私だけになります。
寝ようとすればするほど眠れなくて、明け方になってやっと少しだけうとうと。
だから翌日はいつもしんどくて、林間学校などの宿泊イベントは楽しめませんでした。
遠足や宿泊行事などすべてのイベントが苦手、つまりいつもと違うことが全部大きなストレスな性質は、今なら「HSPだから」という自分に対する理解と諦めにより、睡眠導入剤を飲んだり、耳栓をしたりすることで軽減したり受け入れたりすることができます。
でも、当時はなぜ自分だけ皆と違うのか、皆が楽しみにしていることが、なぜ自分は耐えられないくらいしんどいのかわかりませんでした。
皆のようにできない自分……発表会などで吐くくらい緊張したり、熱を出して欠席する自分。
遠足や宿泊行事で、最後までひとりだけ眠れない自分。
なんでもないことで必要以上に傷ついて、いつまでも悩んでいる自分。
母親に愛されたくて、一生懸命母の喜ぶことをしても、兄のようには愛されない(と思い込んでいた)自分。
それらのことからコンプレックスの塊で、どうしても自分を好きになることができず、今でも自分が好き! とはなれないのだけども、今は自分を嫌うことは辞めています。
自分に対して中庸です。
私の場合、自己嫌悪していると鬱になってしまうので、22歳のときから自己嫌悪を意識的に辞めています。
それにしても、HSPというのは5人に1人くらいの割合で存在すると言われています。
それであれば、たとえば宿泊行事で眠れない子が、もっといてもいいはずなのだけど(;´∀`)
いやぁ、いつでも最後まで眠れない子は私だけでしたね……
思うに、HSPの気質を持っている子は5人に1人くらいの割合でいたとしても、HSPが私くらい重度の人間はそれほど多くないのではと。。
私の今まで出会った人のなかに、私ほど見事にHSPの特徴に合致しているなという人は、見たことがありません(友だちが少ないからかもしれない)。
HSPにも色々な人がいて、症状の表れ方も人それぞれなのですよね。
私は、こちら https://sensai-mikeo.com/what-is-hsp/ のHSP診断テスト23項目のうち、22項目に当てはまっています。
自分で言うのも難ですが私はとても良心的です。笑
唯一当てはまらない項目は、「痛みにとても敏感である」です。
これに関しまして、身体的な痛みというのは他人と同じ感覚を共有できるものではないので、私は自分が痛みに敏感かどうかよくわからないのです。
4歳で入院した際に手の甲に点滴の細い注射針を打たれ、それが4才児の経験上では最も強い痛みで、その痛みは体が痺れるほどでしたが、私は精一杯我慢して泣きませんでした(あまりの痛みに脂汗と涙は滲みました)。
「あら、強いのねえ。普通は皆泣くのよ」と看護婦(当時)さんに言われました。
また、出産の時にも大騒ぎせず産んだので、「模範的なお産よ」と助産師さんに言われました。
実際、出産は二度としたくないくらい痛かったし、腰から下が引きちぎられて地獄に落ちるように感じましたよ……
痛みに強いのではなく、ただただ我慢強いだけ……というか痛いことを周りに素直に伝えることができないのかもしれませんね。本当に厄介な。
蛇足ですが、せっかく物凄く痛い注射で泣くのを精一杯我慢した4歳の私は、その後母になかなか会わせてもらえなくて、母に会えない寂しさでは即泣きました。笑
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2019.09.02 |
| コメント(2) | 自分のこと
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